というお題について、真面目に討論する場が来週あるらしい。
面白そうなので、参加してみようかと。
で、幸せとは何か? 考えてみた。
たぶん、考えるべきは、日本における個々人の幸せだから、
平和に腹いっぱい食べられる幸せ、というのは、既に確保されているものとして、
幸せとは・・・
・他者の役にたっているという実感(生きがいの実感)
・身近な者の死や困窮に直面した場合の受け止め方・乗り越え方を知っている状態(不幸の克服)
・知りたいと思うことを知ることができていると実感している状態(知的欲求の満足)
なんてことを考えた。
それぞれ錯覚でも洗脳でもなんでもいいから、「実感」が持てれば、たぶん、幸せなんだろうと思う。
そういう意味では、人の幸せというのは、かなり感覚的なもののように思う。
だから、たとえば、幸福度なんていう数値には、なかなか直結しないだろうと思う。
洗脳にも近いような、上手な情報の流布が重要なのだと思う。
たぶん、この辺のことを、素晴らしくうまくやったのが、お釈迦様(ブッダ)とか、キリスト、ムハンマドなのかなぁ・・
(本人がどこまでやったかは知らない。後世の弟子が上手だったのかもしれない)
敬虔な信者さんってのは、幸せだと思います。
現在のように真偽はともかく膨大な情報にあふれかえる世の中になったとき、
どこまで彼らの思想を信じ込めるか? あるいは、それに代わるものはあるのか?
日本では、一応、たぶん、科学技術信仰というのが、そんな役割を果たしていたのだろうけど、
様々な情報が流布しだすと、「科学技術」なるものにボロがめだってきて、信頼を失いつつあるわけです。
中国では、政府が頑張って、情報をコントロールして、国民を幸せに導こうとしている訳です。
日本では、中国政府のやり方にあんまりいいイメージを持つ人は多くないと思いますけど、
“うまくいくなら”、あれはあれで、国としてのひとつの”良い”選択だと思います。
さて、現代・近未来において、日本人たる我々は、なにを信じ、なにを拠り所に、幸せを感じればよいのか?
一応、大学に身を置くものとしては、幸せを実現する学問体系の構築を掲げるわけで、
たぶん、来週の討論の目的というのも、そんなところにあるのだと思いますが・・・
「やっぱ、俺が教祖さまになるしかないかな」・・・なんて思ってたりして(^_^)/
さて、来週、どんな討論が展開されるのだろう?
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