科学のための政策としては、案外、悪くなかったんじゃないかと思っている。
1990年代の大学院重点化、90年代後半のポスドク1万人計画、
そして、その当然の帰着であるポスドク問題、
これらは、文科行政の大失策である という言い方もされるが、
結局のところ、そこまでは、そんなに悪くなかったんじゃないかと思う。
#むしろ、それ以降の成果主義・効率主義に偏った評価による予算配分だとか、
#目に見える成果欲しさの無理矢理な産学官連携推進の方が酷いと思う。
##あらゆる分野で、実態はともかく、成果になる数字を欲しがる風潮がある
##お役所の「成果」ってのは、ある項目に対する経費の「額」なのね。
##だから、そういうお題目に沢山のお金を使ったという事実がすなわち成果で、
##内容(実態)は別になんでも構わないというような感覚がまかり通るのよ。
言葉や文化において、欧米とは大きな相違点があるので、
それらの国と直接的に比較することが妥当であるとは思わないけれど
ともかく、いろんな指標(論文数だとか、お役所の大好きな数字)でみても、
今の日本の科学のレベルって、そんなに悪くないところにあるでしょ?
そりゃあ、アメリカなんかと比べると点数はかなり低いとしても、
先の敗戦からスタートしていると思えば、大したもんですよ。
1990年代の大学院重点化、ポスドク1万人という政策は、一言でいえば、
大学院の定員を増やし、研究予算を増やし、博士号取得者を増やした政策です。
戦後、1960年代~80年代、高度成長とバブルにのって、西洋のものまねをしながら
急成長をとげた大学・研究業界が当面の規模とレベルを維持したまま生き残り、
社会に定着していくために打ち出した政策だったんじゃないかと思う。
このころに順調に増えつづけた大学院生を研究者として養成し、
そこそこの研究レベルを維持しているという点では、大成功です。
この博士大量生産(年産1万5千)のシステムが社会に組み込まれて定着すれば、
確かに、科学(技術)立国というお題目が実現するのではないでしょうか。将来。
#今のところ、科学技術立国というよりは、技術立国あるいは技能立国なんじゃないかな?
#たぶん、made in Japan の売り、日本製の品質の良さってのは、その辺が基本でしょ?
#だから、ひとことで言えば「技能の科学化」で立国するのが科学技術立国だろうか・・
前にちょっと書いたけど、年間15000人の博士が生産されて、
一方で、大学教員求人数は年間約5000人、民間企業では博士はお呼びでない。
教員以外のポストもあるだろうけど、どうころんでも、現状だと、大量に職にあぶれる。
なので、多くは、いまのところは、ポスドクで食いつないでいる。
高齢ポスドクの雇用対策でしかないと、事業仕分けなんかで叩かれつつも、
それなりの数のポスドク(あるいは任期付教員)のポスト(予算)が手当されるので、
現在までのところ、業界の外にほとんど博士人材がでていかない。
これでは、社会に定着した仕組みとは言えない。中途半端で遺憾。
そろそろ業界の外の社会に博士人材を放出するフェーズなんじゃないかと思う。
そんなに簡単じゃないのは、よくわかる。
でも、待ってたって、そんな風穴はあきはしない。
プライド高く、融通がきかない、世間知らず・・・・
そんなイメージは、個々のケース毎にいくらでも払拭できるだろうが、
そんな難しく考えなくても、誰だって、年くった(しかも博士号を持つ)新入社員を
部下にもったら、さぞや扱いにくかろうと思う。人事担当者も嫌がるだろう。
そんなわけで、民間企業側からあえて積極的に受け入れようなどと動くはずがない。
キャリアパス形成事業とかなんとかって取組みもあるのは知ってる。
でも、そんな道(パス)なんてつくれるわけがないと、なんとなく感じる。
もちろん、予算がつくんだから、特別な成功事例(成果)を作ることは簡単でしょう。
しかし、恒久的に続くキャリアパスなんてものはありえないように感じる。
プロジェクト的な事業に人材を供給するなんて話なら、ポスドクと何もかわらない。
どちらかといえば、やっぱり、ポスドク側から、けしかけてあげないといかんのだろうと思う。
当然、リスクを負うことになるけど、長らく国民の皆様の血税を使いながら、
それなりのリスクは覚悟の上で、楽しく科学研究をさせてもらったのだから仕方がない。
プライド高く、融通がきかない、世間知らず・・しかし能力が売れる人もいるだろうし、
あえて呼びはしないけど、来るなら居たって悪くはないという人もいるだろう。
どこに行ったって、どうにも使いようがない人だっているだろうと思うけど、
そんなの新卒の新入社員だって同じでしょ?
世の中、どんな人間だって、ちゃんと生きてる。
気軽に、世に出て行けばいいだけなんじゃないの?と、思う。
何もできず、のたれ死ぬしかない、なんてことはありえない。
社会にでるということは、誰もが一度は通る関門なのです。普通のことです。
そんなのをリスクなどと高尚な言葉使って威張ってちゃいかんのです。
とにかく数は多いのだから、みんながやれば、それなりに数は力になるはずだ。
そして、それは自然と、時間の経過とともに、特別のことでなく、普通のことなっていく。
科学リテラシーとやらを持った博士が、その専門性とは無関係な世にでて、
いわゆる一般市民として、社会に溶け込むという世の中ができて、
ようやく、科学というものが、日本に定着するんじゃないかな。
90年代当時もポスドク問題は既に予測されてたけど、
日本の科学の発展を最優先として、断固として進めたのは偉かったと思う。
#今や、ちょっとでも苦情がでたり、よろしくない予測がでたりすると
#表面だけ取り繕おうとして、右往左往して、結局、ロクでもないことになるのが流行ですね。
博士大量生産ってのは、科学にとっては、たぶん正しい方向だ。
社会の対応が遅れてる?
うん、だから、そこを進めればいいだけなんじゃない?
科学が分かる社会の一員として。まあ、時間はかかりますけどね。
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