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オトコ40歳、これからどうする?

どうすれば、人生オモシロオカシク暮らせるか?
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No.|Comment

アンケートその2

2012/04/30(Mon)20:46

もう一個アンケート載っけてみる。
ていうか、全部必要な気がする。

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No.98|独り言Comment(0)

現代の沖仲仕

2012/03/25(Sun)17:56

あんまり聞いたことない言葉だけど、「おきなかし」と読むらしい。
船から陸への荷揚げ荷下ろしや、その逆の積み込みなんかをやる人のこと。
差別語だそうで、今は、港湾労働者と言い換えることが多いらしい。
だから、あんまり聞いたことない言葉になっちゃうわけ。

で、船からの荷下ろしや積み込みって、今時はコンテナをクレーンで、ちょちょいのちょい♪
なので、いまどき、沖仲仕なんて、言葉だけじゃなくて、実態もなくなった。
・・・と、思いきや、そんなことはなさそうです。

確かに荷物はコンテナに入れられて、クレーンで積み下ろしするんだけど、
んで、コンテナはトレーラーに乗っけられて運ばれていくわけだけど、
でも、やっぱり、どこかで、中身を運び出さないといけない。

フォークリフトなんていう文明の利器もあるけど、
段ボール箱なんかは、まあ、普通は人力で、運び出さないとしかたがない。
んで、中身を検品して、仕分けをして、バーコード貼って・・・と、国内流通にのせていく。

で、フォークリフトの操作をする人も、人力で運び出す人も、バーコード貼る人も、
昔の「沖仲仕」とは、たしかに、ずいんぶんと趣も、ちがうんだろうけど・・・・

手配師、請負師の飯のたねになってるのは、同じかなと、思う。
んでも、仲仕は仲仕で、そんな立場にある意味納得して、仕事してるわけ。

世の中、それなりに回ってるなぁ・・・・と思う今日この頃。

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No.93|独り言Comment(0)

平日の昼間に家に居る

2012/03/22(Thu)21:23

いい天気だから洗濯して、物干しに洗濯物干すのって、おかしいですか?

ちょっと汚れてるなと思って、家の前を掃除するのって、おかしいですか?

子供の友達が遊びにきたので、玄関に出迎えるのって、おかしいですか?

平日の昼間に家に居ること・・・・これって、おかしいことですか?

他人の家じゃないですよ!自分の家ですよ!

ご近所の目なんて、私自身は、気にしない・・つもり。
でも、そうでない人ってのもいる・・・
#この期に及んで、いまさら気にしてもしょうがないと思うんだけどなぁ

上記のようなことをいい歳したオッサンがやるのは、やっぱり、おかしいことなのでしょう
理不尽だけど、生き方の多様化なんか言われてても、世の中、まだまだ、そんなもんです。

しかし、だからといって、家の中に閉じこもって、ゴロゴロしてるのもツマラン。
というか、近所の目を避けて生活すること自体が大変なストレスになる。
こりゃあ、昼間、家以外でやることを見つけないと。
#まさか、毎日、漫画喫茶で暇つぶすわけにもいくまい。

というわけで、バイトでもしてみようかなぁ・・・と。

でも、有給消化中でも、やっぱ、兼業依頼ださないとダメなのかなぁ、
もし、そうだったら、と思うと、絶望的にメンドクサイ。

というのが、最近の悩み。(かなり贅沢な部類の悩みなのは、自覚してます)

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No.92|独り言Comment(0)

元研究者の個人情報

2012/02/16(Thu)15:06

何かと話題のもうひとかたの影に隠れた感のあるもうひとりの某賞受賞者、
#ちなみに、この文章(pdf)は、受賞する前から知ってた(ちょっと自慢)
##結構ダマシの効いたオモシロい文章を書くなぁと思ってました。

元研究者だそうですが、研究者だったころ、本名使って副収入を得た際に、
上司から、あれこれ言われたのを機に、以来ペンネームを使うようになったそうです。
(副収入といっても、就業規則違反の副業という類のものではなかったようですが)

本名非公開ではあるんだけど、研究者の場合、出身大学とか学位取得年とか研究分野とか、
WEB上に転がってる断片的な情報を総合すると、およそ誰だか本名が分かっちゃう。
さらに、発表した論文は公開されてるし、職歴も、かなりの部分がバレバレです。
ずっとその分野で仕事してるならまだしも、別の分野に転進してるにも関わらず、
過去の履歴がバレバレってのは、なんとなく嫌な感じ。

で、私の場合、本名がバレると、どんな実害があるのかな?
・・・すぐには、ちょっと思いつかない。けど、なんとなく嫌な感じ。

一応、私の場合も、姓名でググルと、結構ヒットしちゃうんだよね。
昔書いた文章なんかが引っかかるとそれなりに気恥ずかしい。

#学生時代にネットニュース(fjとか)質問した奴なんかもヒットしちゃったりして。
#内容的にはめちゃ古くて今時読んでもあんまり得るものがないが、
#ああいうアーカイブっていつまで保存するんだろ?

同姓同名も多いから、研究者やめたら、同名の他人に紛れて、
徐々に分からなくなるだろうけどね・・

 ←こっちより、
こっちを読んでみたい→

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No.87|独り言Comment(0)

自由と責任

2012/02/08(Wed)14:57

人生、あらゆるところに岐路がある・・・ように見えます。
その分かれ道をどちらに進むか、自由に選択できる・・・ように見えます。
そして、それぞれの自由意思によって選択するのだから、
その結果には責任を持たなければならない。というのが、「自由と責任」らしい。

じゃあ、逆ならどうなの?・・・と、素朴に思う。
選択の自由がなければ、結果に責任はないの?

ミヒャエル・エンデの「自由の牢獄」、話としては面白いんだけど、
結局、選択の自由などというものは存在せず、また、
選択の自由も責任も、ない方が幸せだと言いたいのかな?

そういう趣旨だとすれば、なんとなく、納得できない。


確かに、本当に等価な選択肢であれば、その選択肢は選びようがない。
だから、その場合に、「選択の自由は、選択の不自由である」というのはそうかもしれない。
そして、後述するように、究極的には、選択は個がするのではなく、
個を個たらしめる環境が選択させるという場合には、
確かに、選択の自由というものは、存在しないかもしれない。

しかし、自由の牢獄の主人公は、どの扉をあけるかを決断しないでおくことが、
最も良さそうな選択だと判断して、どの扉も開けなかったんじゃないのかな?
つまり、「複数の扉」という等価な物うちのどれかという選択肢ではなく、
能動的に行動を起こすか、あるいは、受動的に成り行きにまかせるか
という2つの選択肢のうち、彼の自由意思に基づいて、後者を選択した。
そして、心の平安を得た。めでたしめでたしである。

岐路において、どちらを選択するかは、各人を取り巻く現在および過去の環境
つまり、それまでに持ちえた知識や経験を踏まえた価値観に依存するだろう。
文化圏ごとに自明と感じられる選択もあるし、そうでないものもあるだろうが、
少なくともその環境を背景とする本人にとっては、その選択は自明なものである。
だから、自由の牢獄の主人公にとっても、それは必然的な選択だったはずだ。
#選択の自由のない心の平安を幸せとするのは、彼の価値観によるのでしょう。
#私の価値観とは、ずいぶん違う・・・世の中、波乱万丈の方が楽しいやん?

完全に等価なものは、選択肢とはいわないように思うし、
それ以前に、そもそも完全に等価であるということは、ありえない。
世の中の選択肢は、互いに等価ではないから、人は、それぞれを天秤にかけて
各人の価値観において、より良さそうな方を選ぶことができるんじゃないかな。
そして、その人の価値観においては、その選択をすることが必然であるし、
したがって、それが唯一の道となる。
つまり、そういう意味では、たしかに、そもそも選択肢はないのかもしれない。

#確かに、どっちを選ぶか、本当はとっくに決まってるのに、
#なんとなく、決まってないフリをしたいだけなんじゃないかと思う時もある。
##というわけで、一歩前へ! なわけです。

#♪ どんなに迷っていても 道は一つしかない ♪
#♪ 僕の前から広がる道さ この道行くしかない ♪
#たまに聞いて、口ずさんで、もうかれこれ、30年ぐらい、
#だいたい、いつも泣きながら歌います。
##この方も、そんな感じみたい。同世代ですね。→ ゆうきのブログ


(LPも持ってたけど、CD買いなおしてしまったのである)


で、話をもどして、「選択の自由がなければ、結果に責任はないの?」である。

「責任」とはなんぞや?というと難しい話になりそうなんだけど、
「責任」を「自由」と対の概念とすれば、自由がなければ、責任はない。
極論としては、環境が個を作るとすれば、個には自由も責任もない。
すべては、環境の責任ということで、話は、とっても簡単である。メデタイ?

ところが、一方で、個々人は、他者にとっては環境の構成要素となる。
つまり、特に社会的な環境というのは、個の集合ということもできるだろう。
個々人が責任を認識することで、環境に秩序が生まれるんじゃないかと思う。
逆にいうと、だれもがみんな、環境のせい、他人のせい、と言いあっているとすれば、
社会秩序はないし、世の中が成立しないんじゃないだろうか?

だとすれば、選択しようがしまいが、そこに自由があろうがなかろうが、
個は責任を持つべきであるし、自分の現状を受け入れ、
自分の現状と関係を持つ事柄についての責任を認識する必要がある。
自由の牢獄の主人公だって、ちゃんとその現状を享受し、
伝道者(?)としての責任をはたしているともいえるんじゃなかろうか。

自分のせいであろうが、誰のせいであろうが、現状で起こっている身の回りの事柄に、
できるだけの対応をするのは、まあ、当たり前といえば、当たり前ですよね?
これが責任、responsibilityって奴じゃないのかな?


#右の本が今回の話題の発端なんだけど、あんまり読み進めない感じの本です。
#他人の意見を紹介して批評する割に、自分の意見はどうなのか、なかなか断言しない。
#いいまわしがもったいつけた感じで小難しく、読みにくいと感じました。

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