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オトコ40歳、これからどうする?

どうすれば、人生オモシロオカシク暮らせるか?
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2017/07/27(Thu)21:40

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No.|Comment

薪ストーブが日本の未来を救う・・・かもしれない

2013/10/17(Thu)15:06

現代の日本人にとって足りないモノといえば、
何をおいても、「心の豊かさ」だと思うんです。

ずっと、人々の精神的な豊かさを支える仕事に
つきたいと、おもっていたんです。

リビングに、日常的に、火のある生活。
それが薪ストーブのある暮らし。

古来より、人は、ヒトだけが火を囲んで、温もりを感じてきた。
炎の揺らぎはそれだけで心に暖かさを届ける。
豊かな生活に火はかかせない。

そして、薪は自給可能な国産エネルギーという側面

国土の7割を占める豊かな森林資源を持つ国日本
東北の震災以降、原発問題に揺れ動く日本
戦後の60年で、電力消費は約20倍に膨れ上がった。
そして、その限界が見えてきた。


石油石炭などの化石燃料、核燃料に頼らない
自然エネルギー利用への転換が必然的に訪れる。

「暖房は薪ストーブで」

これが当たり前の、理性的な判断なんじゃないかな?


・・・てなことを最近考えてます。

それでも、オール電化が流行ってるのは、
どういうことなんだろう?とも


目指せ!薪ストーブ世帯普及率100%!
と、いう訳で、日々がんばってます。

関連記事: 自家発電海上発電の可能性 ・・・だそうだが木質バイオマスエネルギーの可能性は?転職希望のポスドクを探してます。

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No.164|主張Comment(0)

大学院重点化とかポスドク1万人化とか

2011/12/14(Wed)13:31

科学のための政策としては、案外、悪くなかったんじゃないかと思っている。

1990年代の大学院重点化、90年代後半のポスドク1万人計画、
そして、その当然の帰着であるポスドク問題、
これらは、文科行政の大失策である という言い方もされるが、
結局のところ、そこまでは、そんなに悪くなかったんじゃないかと思う。

#むしろ、それ以降の成果主義・効率主義に偏った評価による予算配分だとか、
#目に見える成果欲しさの無理矢理な産学官連携推進の方が酷いと思う。
##あらゆる分野で、実態はともかく、成果になる数字を欲しがる風潮がある
##お役所の「成果」ってのは、ある項目に対する経費の「額」なのね。
##だから、そういうお題目に沢山のお金を使ったという事実がすなわち成果で、
##内容(実態)は別になんでも構わないというような感覚がまかり通るのよ。

言葉や文化において、欧米とは大きな相違点があるので、
それらの国と直接的に比較することが妥当であるとは思わないけれど
ともかく、いろんな指標(論文数だとか、お役所の大好きな数字)でみても、
今の日本の科学のレベルって、そんなに悪くないところにあるでしょ?
そりゃあ、アメリカなんかと比べると点数はかなり低いとしても、
先の敗戦からスタートしていると思えば、大したもんですよ。

1990年代の大学院重点化、ポスドク1万人という政策は、一言でいえば、
大学院の定員を増やし、研究予算を増やし、博士号取得者を増やした政策です。
戦後、1960年代~80年代、高度成長とバブルにのって、西洋のものまねをしながら
急成長をとげた大学・研究業界が当面の規模とレベルを維持したまま生き残り、
社会に定着していくために打ち出した政策だったんじゃないかと思う。
このころに順調に増えつづけた大学院生を研究者として養成し、
そこそこの研究レベルを維持しているという点では、大成功です。

この博士大量生産(年産1万5千)のシステムが社会に組み込まれて定着すれば、
確かに、科学(技術)立国というお題目が実現するのではないでしょうか。将来。
#今のところ、科学技術立国というよりは、技術立国あるいは技能立国なんじゃないかな?
#たぶん、made in Japan の売り、日本製の品質の良さってのは、その辺が基本でしょ?
#だから、ひとことで言えば「技能の科学化」で立国するのが科学技術立国だろうか・・


前にちょっと書いたけど、年間15000人の博士が生産されて、
一方で、大学教員求人数は年間約5000人、民間企業では博士はお呼びでない。
教員以外のポストもあるだろうけど、どうころんでも、現状だと、大量に職にあぶれる。
なので、多くは、いまのところは、ポスドクで食いつないでいる。
高齢ポスドクの雇用対策でしかないと、事業仕分けなんかで叩かれつつも、
それなりの数のポスドク(あるいは任期付教員)のポスト(予算)が手当されるので、
現在までのところ、業界の外にほとんど博士人材がでていかない。

これでは、社会に定着した仕組みとは言えない。中途半端で遺憾。
そろそろ業界の外の社会に博士人材を放出するフェーズなんじゃないかと思う。


そんなに簡単じゃないのは、よくわかる。
でも、待ってたって、そんな風穴はあきはしない。
プライド高く、融通がきかない、世間知らず・・・・
そんなイメージは、個々のケース毎にいくらでも払拭できるだろうが、
そんな難しく考えなくても、誰だって、年くった(しかも博士号を持つ)新入社員を
部下にもったら、さぞや扱いにくかろうと思う。人事担当者も嫌がるだろう。
そんなわけで、民間企業側からあえて積極的に受け入れようなどと動くはずがない。

キャリアパス形成事業とかなんとかって取組みもあるのは知ってる。
でも、そんな道(パス)なんてつくれるわけがないと、なんとなく感じる。
もちろん、予算がつくんだから、特別な成功事例(成果)を作ることは簡単でしょう。
しかし、恒久的に続くキャリアパスなんてものはありえないように感じる。
プロジェクト的な事業に人材を供給するなんて話なら、ポスドクと何もかわらない。

どちらかといえば、やっぱり、ポスドク側から、けしかけてあげないといかんのだろうと思う。
当然、リスクを負うことになるけど、長らく国民の皆様の血税を使いながら、
それなりのリスクは覚悟の上で、楽しく科学研究をさせてもらったのだから仕方がない。

プライド高く、融通がきかない、世間知らず・・しかし能力が売れる人もいるだろうし、
あえて呼びはしないけど、来るなら居たって悪くはないという人もいるだろう。
どこに行ったって、どうにも使いようがない人だっているだろうと思うけど、
そんなの新卒の新入社員だって同じでしょ?

世の中、どんな人間だって、ちゃんと生きてる。
気軽に、世に出て行けばいいだけなんじゃないの?と、思う。
何もできず、のたれ死ぬしかない、なんてことはありえない。

社会にでるということは、誰もが一度は通る関門なのです。普通のことです。
そんなのをリスクなどと高尚な言葉使って威張ってちゃいかんのです。


とにかく数は多いのだから、みんながやれば、それなりに数は力になるはずだ。
そして、それは自然と、時間の経過とともに、特別のことでなく、普通のことなっていく。

科学リテラシーとやらを持った博士が、その専門性とは無関係な世にでて、
いわゆる一般市民として、社会に溶け込むという世の中ができて、
ようやく、科学というものが、日本に定着するんじゃないかな。

90年代当時もポスドク問題は既に予測されてたけど、
日本の科学の発展を最優先として、断固として進めたのは偉かったと思う。
#今や、ちょっとでも苦情がでたり、よろしくない予測がでたりすると
#表面だけ取り繕おうとして、右往左往して、結局、ロクでもないことになるのが流行ですね。


博士大量生産ってのは、科学にとっては、たぶん正しい方向だ。

社会の対応が遅れてる?
うん、だから、そこを進めればいいだけなんじゃない?
科学が分かる社会の一員として。まあ、時間はかかりますけどね。

関連記事:大学の教育大学の研究転職科学研究のアマチュアリズム
      幸せとは何か?なんのために大学に行くのか?ノーベル賞の宿業
      一歩前へ単なる逃避ではないと信じたい転職希望のポスドクを探してます。

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No.78|主張Comment(0)

なんのために大学に行くのか?

2011/11/17(Thu)13:27

もちろん、立派なお題目は色々とあるけど・・・まあ、それはおいておいて、
大多数の人にとって、大学というのは、「遊ぶためにいくところ」であり、
就職で不利にならぬように、あるいは、世間体のために「一応行っておくところ」であろう。

「遊ぶため」というと、乱暴な言い方だけれども、
新たな人や物事との出会い、様々な挑戦と失敗、社会性の獲得など、
大人になりきる直前の「遊び」の場と時間を持てるという点こそが、
「大学生」というものになる最大のメリットであろうと思います。

大学における専門教育で身につく専門性が、実社会において、およそ役にたたないことは、
既に周知の事実であるし、社会(会社)も、その専門性には期待していない。

「高卒では就職に不利」とか「大学ぐらい出ておかないとカッコ悪い」
というような風潮は、いい加減、どうにかして欲しいものだと思うけど、
大学入学試験を突破することで、社会においてより重要な小・中・高校での
普通教育による教養を身につけていることを証明することは意味があるかもしれないし、
会社や世間が、「大学生」として「遊んだ」経験を評価しているのだとすれば、
この風潮は肯定してもいいのかもしれない。

したがって、大学に求められる機能は、
1)普通教育による一般教養を習得していると証明すること
2)ゆるやかなルールと保護のもと、比較的自由に遊べる環境を提供すること
の2点に尽きるのではないだろうか?

上述のような「大学合格を評価する風潮」がありつづける限りは、
相対的には、大学合格者の一般教養習得度のレベルも維持されよう。
しかし、「大学」そのものの評価がこのまま下がりつづければ、
大学卒のステータスが消滅する日も近いのではないだろうか?
その場合、大学に代わる「遊びの場」が必要になり、評価されるようになるのかもしれない。


そんなわけで、大学は、大学そのものの評価の向上に努めるわけで、
一応は、様々な種類の「社会の役に立つ人材の養成」を掲げて取り組むわけだが、
誰も期待していないものをどうやって評価させればよいのか、お手上げな感が強い。

社会の役にたつ人材って、極論すれば、教えてできるもんじゃないですから、
講義(高校みたいな授業)をいくらやったって、そんな人材は養成されない。
(純粋に技術を習得させるというのであれば、それなりになんとかなるが・・・)

人材養成というは、学生ひとりひとりの個性に合わせて、手間ひまかかるもので、
とてもじゃないけど、今の先生方の熱意では、あれだけの学生数はこなせません。
#もちろん、すばらしく熱意をもった先生の存在も信じていますが、例外といえるでしょう。

でも、大学というお役所は、取り組みの新規性を紙上で示さなければならないから、
実際には何をやってるかというと、新しいカリキュラムを作っては、
講義数(必須単位数)をどんどん増やしてるわけです。数で表現するのが一番分かりやすい。
#おかげさまで、学生さんたちは、どんどん忙しくなって、遊ぶ暇もないようです。
#見ていて、なんだか、とても、かわいそう・・・・

現在の大学生の悲劇は、大学が徐々に遊び場でなくなっていることかもしれない。


「大学に代わる遊び場」をどう作るか? 
・・・ただいま思案中なんだけど、
なんとなく、昨日のビジネスモデル案とも関連する気がしてきた。

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No.70|主張Comment(0)

年金も健康保険もやめたらどう?

2011/10/12(Wed)11:52

今朝の新聞、在職老齢年金の受給額の引き上げ(対象は60~64歳)とか、
支給開始年齢の引き上げ(60歳→65歳→68~70歳)なんて、記事が載ってる。

あまりにも腹立たしい。なにが腹立たしいかというと、
あまりにも、団塊の世代(いまの長老組)が優遇されすぎな点。

現在のところ全ての決定権は、実質、この長老組が握って離さないんだから、
#どこの組織も似たようなもんだ・・・・
こんな案がでるのは当たり前なんだけど、あんまりにも露骨じゃないかい?
自分たちは滑り込みでもなんでも、満額、あわよくば、増額分まで貰おうというのがミエミエ

働く意欲うんぬんいうのであれば、年金なんて全部辞めればいい。
今、一番お金に困ってない層に、そんなに手厚くしてどうするんだ?
老後の備えとかいって、70を超えたような人だって、たんまり貯金をもってる。
(「老後」って、いつなんだ?今、使わずにいつ使うんだ?)

本当に生活に困るなら、生活保護を受けるという手だって残ってる。
万が一の時(って、どんな時?)の備えだとすれば、
万が一の時のためのセーフティネットを充実させましょうという話でしょ?
本当に万が一になったら、個人の貯蓄だけでは心もとないじゃないですか?
そんなときのために公的社会保障は機能しないといかんでしょ。

と、いうような、割と前々から思ってる想いなんだけど、
どうせ、破綻は目に見えてるんだから、傷の浅いうちに、
国民皆年金も、国民皆保険ってのもやめちゃうのが正しいと思う。

とりあえず、やめた瞬間に、
約50兆円の年金保険料と、約20兆の健康保険料がなくなる。
雇用主負担分も(直接・間接的に)給料に還元されるという前提なら、
国民ひとりあたりにすると、平均で、年間70万円の上納金がなくなるのです。
(もちろん、収入の多い人ほど、得をする)


その代わり、医療費は全額負担、老後の年金がなくなります。


医療費については、現状でも、どうせ3割負担ですから、
医者に行った時に払う額が、たかだか3倍になる程度です。
普通の健康な人なら、それほどは問題ない金額じゃないですか?
#ちょっと痛いといえば痛いけど、無駄に医者にいくこともなくなるし、
#料金の自由化をあわせて行えば、きっといいこともあるさ。

セーフティネットとして、高額医療費(高額療養費)に対する補助制度を、
国庫負担にして存続させれば、そんなに問題ないんじゃないかな?
現状の高額療養費補助制度が不十分なら、それをあらためる。


年金の方は・・・たぶん、年金制度があろうがなかろうが、
老後のためにコツコツと貯金をするのは、たぶん変わらない。

一応、平均でモノをいうなら、ういた年間70万円を貯金にまわせば、
40年で2800万円になります。夫婦2人なら5600万円だから、
あと20年、働かなくても、年間280万円づつ使えます。
(もっと貯める人は貯めるだろうし、高齢でも、働ける人は働くようになるでしょう。)

どうも、いまのところ、資産を切り崩すのに抵抗があるみたいだけど、
それが正しい資産の持ちかただし、使い方じゃないかと思います。
コツコツと貯金した分をちゃんと老後の生活のために使えばいい。
#ちゃんと世の中にお金がまわるのは、たぶん、いいことのはず。

資産を使い切ってしまった場合、あるいは、万が一の事態において
本当に生活に困るなら、生活保護を受けるという手だって残ってる。
現状の生活保護制度が不十分なら、それをあたらめる。


高額療養費と生活保護の財源確保が、少し問題。
でも、万が一のためのセーフティネットは、絶対に必要なのだし、
不要になる役所や役人の首を切ってみせれば、
このための増税は、受け入れられるはず。

年金保険料と健康保険料の負担がなくなると、
保険料負担の大きかった高額所得者ほど得をするので、
高所得者層をターゲットにした所得税増税ってのが妥当なところでしょうか?
この人たちは、老後に金がなくなって困ったりしないでしょう。

現状のように、この先、いかにも破綻しそうな気配がかなりあるのに
それをなんとか維持しようとして、増税なんていってても反対されるに決まってる。
でも、このままいくと、いつかは破綻するものは一度清算し、
その後の新システムを構築するために増税するといえば、
まあ、やむをえないかと思えるんじゃないかと思うのです。


で、この案、一番損をするのは、たぶん、いままで保険料を満額納めたけど、
自分の番になったら受け取れなくなる層、つまり、団塊の世代(いまの長老組)なんですね。
だから、絶対に、この案は通りません。俎上にも載せられないでしょう。残念ですが。


最近、こんなの読んだ↓

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科学研究のアマチュアリズム

2011/06/14(Tue)23:15

科学研究というものは、普通はなんの役にたたない。
膨大に無駄な研究があり、その中の成果のほんのごくごく一部が、
必要不可欠な知見として受け継がれ、科学は進展する。
ほとんどの研究成果は、このための礎として、忘れ去られるのである。
しかし、この”無駄な研究”の積み重ねこそが、科学の進展にとって重要なのだ。

なんの役にも立たない研究をなぜするのか?

それは、純粋に興味本位に、好奇心から、ものごとを解明したいと思う研究者がいるからだ。
役に立たない研究をする研究者がいなくなれば、科学は止まる。

さて、現在、プロとして、科学研究を遂行できる立場のものが存在するだろうか?

おそらく、答えは否である。
少なくとも、現在の日本にはほとんどおるまい。
今や、役に立たない研究は、させて貰えない時代だ。
役に立たない研究には、研究費がつかないし、それだけでは研究者の身分があやうい。
研究のプロは、給料の対価として、役にたつ(と説明可能な)成果を求められる。

本当に役にたつ研究成果というものは、実のところ、ほとんど皆無に等しい。
役にたたないものを、いかに役にたつと説明できるかにかかっている。
プロの研究者は、この説明に多くの労力と時間を費やす。
つまり、「役にたつ成果」の制作に勤務時間を費やし、その労働の対価として給料を貰う。
この説明・制作能力こそが、プロの研究者の素養として重要な点であり、
その能力の高いものが、”一流の”研究者になれるのである。

一方、役にたたない好奇心のみにもとづく研究は、余暇の時間を費やしておこなう必要がある。
つまり、科学研究は、常にアマチュアリズムに基づいて行われる。

この両者を両立できるものは、”超一流の”研究者だろう。

しかし、だとすれば、プロの研究者である意義は、どこにあるのだろうか?

生活の糧をえるための労働は、なにも研究である必要はない。
いかなる職にあっても、余暇において、好奇心を満たす研究を行えばよいのである。

自身の好奇心、知的欲求の強さに自信をもち、
いづれの立場にあっても、科学的思考にもとづいて行動する
アマチュアの科学研究者こそが将来の科学を進展させるのだろう。

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