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オトコ40歳、これからどうする?

どうすれば、人生オモシロオカシク暮らせるか?
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No.|Comment

研究者を辞めた理由

2013/01/28(Mon)22:13

任期付教員をやってて、任期が切れたので、退職したわけだけど、
いわゆるポスドク研究員として、研究を続けるという選択肢もないわけじゃあ、
なかった。

じゃあ、なんで辞めたのか?

そもそも、研究者になろうと思ったのは、たぶん・・・
分からないことが分かるのがオモシロかったから。
自分で疑問・問題を設定して、そして、解いていく。
それが、楽しかった。

それって、誰かの役にたつものではないし、
役に立とうなんて、だいそれたことは考えるべきではなかった。

ところが、役に立たないものには、存在価値がないのかもしれない。
と、悩みだしたのが、運の尽きだったのだろうと思う。

真面目すぎるのが自分の欠点であると、つくづく認識するのだが、
政治的な駆け引きで唱えてるようなお題目をイチイチ真に受けて、
役に立つ研究成果をあげなきゃいけないと思うようになった。
まともな大人なら、建前では、役に立つ研究成果を強弁して装いつつ
疑問を持たずに、役にもたたない研究を堂々とやるのだろうと思う。

その辺が、真面目すぎて・・・というか、ガキなんだろうなと思う。
「役に立ちなさい」と言われ続けたので、役に立つことをやりたくなった。
たぶん、研究者のままでは、人の役に立つことは、俺にはできない。
(できる人はいると思うけど)
と、思ったから。だから、研究者を辞めた。

じゃあ、何で人の役にたとうか?
そう考えて、1年が過ぎつつある。

今、思ってることを漠然というと・・・・

人の豊かな生活を支えたい。
精神的な豊かさってのを感じる手伝いがしたい。

・・・・というような感じ。

そんな仕事って、どんな仕事かな?  (→一応、今やってる仕事
#ギター職人?それも真面目に考えたんだけどね・・・


関連記事:大学の教育大学の研究転職科学研究のアマチュアリズム
      幸せとは何か?なんのために大学に行くのか?
      大学院重点化とかポスドク1万人化とかノーベル賞の宿業
      転職希望のポスドクを探してます。

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No.131|独り言Comment(0)

科学技術の粋を尽くして

2013/01/27(Sun)23:06

科学技術の進歩は人類を不幸にしてるんじゃないか?
なんてこと、最近しみじみ思うんですが、かといって、
今更、原始時代の暮らしや、江戸時代の暮らしに戻れるかっていうと・・・
確かに戻れたらいいなぁ・・・と思うけど、現実的にはありえない話ですね。
#原始時代の暮らしは、さすがにきつそうなので、江戸時代ぐらいがいいかな
・・・なんて

生きていくのが不可能かっていうと、人間、その状態になっちゃえば、
なんなりと対応しそうな気はするんだけど、
今更、そんな状態の世の中に、なるわけがないなぁ・・と思うのです。

政策立案なんかでも、まあ、そんな方向には絶対に進めようとしないし、
成長戦略とかいって、まだまだ、経済成長させようと頑張る。
いつまでも成長しつづける、進歩しつづけることに意義があるのか、凄く疑問。

なぜ、成長しつづけなければいけないのだろう?
停滞してたっていいんじゃない? あるいは、衰退していったって。
それでも成り立つ世の中を考えるわけにはいかないんだろうか? と。
まあ、色んな理由はあるんだろうけど・・・たぶん。

まあ、とにかく現実的には、人は、ワザと後ろ向きに後戻りしようとはしない。
じゃあ、前進しつつ、実は、昔に回帰してるっていう状態になればいいんだろう。
科学技術の粋を尽くして、原始時代あるいは江戸時代のような暮らしを実現!

例えば、エネルギーなんかでいえば、科学の粋をつくしたバイオエネルギー
進歩していった先が、昔ながらの薪利用の大々的な全面的な復活なんて
方向にいくのが良さそうな気がする。
たとえば、原子力・化石燃料から完全に脱却するためには、かなりなアイディアと
科学技術が必要になるに違いない。(もちろん、そんなアイディアを持ってはいない)

現在の私の目標としては、
「現代の続きに、実質的に江戸時代のような暮らしの実現が乗っかってくるような軌道を作る」
・・・・なんて感じかな。

まあ、一歩一歩、できることからって感じですがね。
・・・さて、俺に何が出来るのかな?

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No.130|独り言Comment(0)

ノーベル賞の宿業

2012/12/24(Mon)00:03

いまさらですが、ノーベル賞の話です。

文学賞や平和賞はおいておくとして、
ともかく、「科学分野における最大級の栄誉」ってことになってます。
科学分野とはいうけど、人類への貢献が認められる分野限定で、
例えば、数学なんてのは入ってない。
この辺り、今どきの日本の科学技術振興とよく似てる。

というわけで、日本の大学では、「ノーベル賞をとれるような研究をしなさい」というような
わけのわからないお題が与えられてるわけです。何年以内にノーベル賞何個って・・・
(結構マジにそんなようなお題目で議論されてたりするから笑っちゃうのですが)

まあ、ともかく、受賞された方の研究は、確かにすばらしいですし、
受賞者の方々は、すばらしい研究者でしょうから、文句の付けようがないのです。

でもね、でも、ですよ。人類に貢献する研究ってなんでしょう?

ノーベル賞なんてだいそれた話じゃなくても、科研費の申請ひとつにしたって、
社会への貢献や、研究結果から期待される具体的な成果を書かされるのです。
もともと単なる好奇心から研究してみたいだけんなんだから、
んなもん、無理やりのお題目書くしかない。んだけど、
お題目を書かされているうちに、だんだんとその気になっちゃって、
単なる好奇心だった部分ってのが薄れてきて、
研究成果による社会貢献が目的になっちゃったりすると、
それがうまくいってるうちはいいけど、うまく行かなくなってくると、
だんだん、科学研究者としての立ち位置を見失ってきちゃう
・・・ってのは、私の個人的な愚痴ですが、

ともかく、「世の中に役に立つ研究」じゃないと研究として認められない世の中。
#(→大学改革大学の研究

最近で言うと、医学生理学賞が話題になってますが、
確かに、医学ってのは、人の命を救う大事な学問で、人類への貢献といえるでしょう。

では、医学の進歩は、人を幸せにしてきたのでしょうか?

医学の進歩で、乳幼児が死ななくなったのは、人を幸せにしたのかもしれない。
親の身になれば、子供が死ぬのは見ていられないし、やりきれないものだが、
助からない命なら、諦めるしかないし、諦めはつくはずだ。(昔はそうだったはずだ)
それが、今は、助かる命だらけになってしまった。
だから、「子供の死を諦める」ということが出来なくなってしまった。

どこまで、進歩したって、助からない命はある。キリはないはず。
でも、もう少し進歩してれば助かったかもしれないと思えば、諦められない。
どこで諦められるか?納得できるか?線引きなんてできるわけがない。
この状況は、不幸といってもさしつかえないようにも思う。
#(→幸せとは何か?

確かに、長寿になりました。
というか、「簡単には死なせてもらえない世の中になった」という気がする。
老人介護施設なんかで、老人の集団を見る機会があったりすると、
これが医学の進歩の結果なのかなあ・・・と、複雑な気分になる。

昔は、江戸時代なんかは、ちょっとした風邪がもとで、すぐに死んじゃうから、
60歳までいきれば上出来って感じ。70歳は稀だったから、古稀なんですよね?
今の60,70を見ると、まだまだしっかりしてて。まだまだ現役って感じで、
たぶん、60や70で死ねるなら、ボケを心配する必要はなさそうですよね?
もちろん、個人差はあって、80でも90でもしっかりしてる人はいるでしょうけど、
一般的にいえば、90歳になってボケてないってのは、凄すぎる稀な例でしょうね。
「こんなになるまで生かされてしまって可哀相に」と思う場合だって少なくない。
当事者や身内は、また違う感覚かもしれないけど、身内だから、そう思う場合だってある。

高齢化もそうだし、いわゆる途上国の人口爆発とか、極めてドライに言えば、
人が死ななくなったのは、人類総体にとってはネガティブな影響が大きい。
生物学で習ったよね?
箱の中で、ある生物を繁殖させると、餌があるうちはどんどん殖えて、
餌となるものが減ってくると、それに応じて、その生物の個体数が減ってきて、
今度は、餌のほうが増えて、それに応じて、個体数が増えて・・・と、増減を繰り返しつつ、
閉鎖空間だと、ついには環境の悪化に耐え切れず、全滅するって奴。
いわゆる生態系の連鎖がバランスしてないってのは全滅の危機なわけです。

医学の進歩ってのは、どうも、人類全滅までの時間を短くするのに寄与していないか?
なんて、考え込んでしまう。

医学に限らず、科学技術の進歩ってのは、たぶん、常に表裏一体で、
役に立つ側面があれば、人に不幸をもたらす側面もあるのだろうと思う。
特に、地球環境つまり人類の生存環境という点から見ると、人類総体にとっては
ネガティブな側面の方が大きかったなんていう技術革新は多かったんじゃないだろうか?
(典型的な例は、いわゆる産業革命ということになるでしょうが)

スカイネット、ターミネーターなんて話を持ち出すまでもなく、
科学技術が人類を滅ぼす日も、そう遠い話ではないのかもしれない。

この記事、「ノーベル賞の宿業」なんて、妙なタイトルつけてみましたが、
そもそも、ノーベル賞って、ダイナマイトを発明したノーベルさんが、
ダイナマイトで儲けたお金を使ってつくったもんですよね。

ダイナマイト(安全な爆薬)の発明ってのは、
人類に貢献するノーベルさんの大業績なわけだけど、
戦争で使われて、エライ不幸をもたらしたものでもある。

昔(子供のころ)読んだノーベルさんの伝記かなんかには、
その辺の葛藤(?)があって、せめて遺産は人類に貢献する科学へ捧げるとかなんとか、
書いてあった気がするんですけど、でもねぇ~
結局、ノーベル賞って、いろんな形の「爆弾の発明」に対する賞賛なんじゃないかなって、
それって、そもそも、そういう成り立ちの賞だし・・・なんて思うんです。


そもそも、人類に貢献する科学ってなんだ?と、

科学研究ってね、好奇心を満たそうとする行為である以上の意味はないと思うんです。
あるいは、それ以上の意味をもってはいけないものだと思うんです。

分かったらオモシロいから調べる。それだけのもの。役に立つべきではない。(私見)
それでも、そういうのをオモシロがって、支えてくれる人がいて、
端的にいえば、お金を払ってくれる人がいて成り立つものであるべき。
そういうのをオモシロがってくれる人(=科学リテラシーのある人)を増やすために、
本来、大学の教育ってのがあるんじゃないかなあ・・・と、
#(→大学院重点化とかポスドク1万人化とか

まあ、今の日本では成り立たない話なんで、単なる独り言にすぎませんがね。
#(→科学研究のアマチュアリズム

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No.114|独り言Comment(0)

3ヶ月経過

2012/07/01(Sun)22:05

無職になってから3ヶ月。
それなりに生活として、リズムもつかめて、落ち着いてきた。

ブログの記事も1月半ほどあいてしまいました。
いわゆる「リアル」が充実(?)してくると
現実逃避的なブログ記事書きが途絶える感じになるのかな?
などと思うのですが、とりあえず、色々やることはあって・・という感じ。

で、本日、またひとつ歳をとってしまいました。

ブログタイトルは5パーセントのサバ読み中
・・・ということで。

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No.103|独り言Comment(0)

普通でなきゃいけない?

2012/05/10(Thu)16:11

一昨日ぐらいの新聞に、就活自殺急増なんて記事がでてたけど、
新卒の人たちには、みんなと同じでなくちゃいけないという脅迫観念があるのかな、と思う。
周りでどんどん内定がでだしたりすると、焦っちゃうんだろうと思う。
「なんで俺だけ?」と思っちゃうんだろうね。

とても切なく思うのは、学校教育が、あるいは、日本の社会というものが、
横並びを良しとして、みんなと同じに、はみ出さないようにって、子供を育ててること。

うちの子供たちの言動なんかを見聞きしてても、いつのまにか
「普通でなきゃいけない」ってのが刷り込まれてるのがよく分かる。
そんな風に教えたつもりもないし、私の前職の職種(大学教員ってのは、どっちかというと
普通じゃないことに価値を見出す人種ですよね)とか、失職したこととかも含めて、
うちは結構変わり者の家だと思うんだけど、それでも、そんな風に育つ。
なんでだろ?(親が変人だと、子供は普通になりたがるのかな?)

でもさ、少なくとも、そんなに思いつめちゃダメだよね。

このブログの副題、そんなに意味深く考えてつけたわけじゃないけど、
人生オモシロオカシク暮らすコツって、
「自分」というものを知ることなんじゃないかと、最近、思ったりする。

自分は、人とは違うし(当たり前だ。一人ひとりがみな違う。同じ人間はいません)
自分は、普通じゃないし(そもそも普通というものの基準は存在しない)
人と同じことはしない。自分の人生は自分のものであり、人と同じではない。
と、至極当たり前のことなんだけど、

もう、どうせ普通の人とは違う人生に、はみ出してるとあきらめられれば、
あるいは「普通の人」というものは、そもそも存在しない概念上だけの言葉だと気づけば、
人は人、俺は俺、自分にやれることをやれるようにやるだけだと思える。


あらゆることは、できる出来ないの問題じゃないんだよね。たぶん。
やれば、できちゃうんだと思うんですよ。何だって。
すぐにできないかもしれないけど、訓練すればできるようになるよ。それなりには。
少なくとも、訓練する前よりはできるようになる。少しづつは上達するはずじゃない?
人と比べてもしょうがないから、自分のペースでできるようになればいい。

目的を達成するには、どっちみち、どんな方法だっていいんだから
どうしてもできないことは、一旦諦めて、少し別の手段を探せばいいやん?
試行錯誤してみないと、できるかどうかもわからんじゃないですか。

だとすれば、やるかやらないかの問題だと思うんだよね。

で、つまり、突き詰めて考えると、それって、
「自分は何がしたいのか?」という一言に尽きてしまうんじゃないかな?と。

この問いって、結構奥が深くって、したいことの先にある目的、さらにその理由・・・
と、わりとどこまでも続いちゃうんです。
例えば、「就職したい」←「収入を得たい」←「生活を安定させたい」
←「妻子を安心させたい」←「子供を育てあげたい」・・・・・なんて感じ。
(一応、架空の答えですが)

で、結局のところ、おおもとの願望がかなえばいいわけなんだから、
別に就職しなくても、手段はありそうですよね?
じゃあ、就職できなくたって、別にいいんじゃないかな?・・・というのは詭弁かしら?

さすがに、「就職したい」←「みんなと同じになりたい」(←この目的はなに?)
というのは、さすがに、ゲンナリ。もうちょっと考えようよ、と思う。


で、じゃあ、俺自身はいったい結局のところ、何がしたいんだろうなぁ?
・・・と、思い悩む今日この頃なわけです。

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